本当の自分と出逢うカウンセリング
はじめまして
カウンセラーの「北川 蒼(あお)」と申します。
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このページを見つけてくださって
ありがとうございます。
カウンセリングを受けてみようかな、
と考えたとき、
「この人に話して大丈夫だろうか」
「どんな人なんだろう」
そんな不安や迷いが、ふっとよぎることも
あるのではないでしょうか。
これまで、
人に合わせてきたり、本音や感情を出すことに
怖さを感じてきた方ほど、
「安心して話せるかどうか」は、
とても大切なことだと思います。
私自身も、これまで
人に合わせながら生きてきました。
嫌われないように、
必要とされるように、
自分の役割を探して、
その場に居続けようとしていました。
気づけば、
自分が何を感じているのか、
何を望んでいるのか、
分からなくなっていました。
人と一緒にいても、
ひとりのような感覚
誰かと話していても、
本当の自分はそこにいないような感覚
そんな状態が、長い間続いていました。
もし、あなたの中にも、
どこか似たような感覚があるとしたら、
そう感じることも、
無理のないことなのだと思います。
ここでは、
私がどのように自分を隠して生きてきたのか、
そして、どのようにして
少しずつ変わってきたのかを、
できるだけそのままの形で書いています。
読んでいただく中で、
「少し分かる気がする」
そんなふうに感じてもらえる部分があれば、
それが、
あなたの一歩につながればうれしいです。
我慢することでしか、
自分を守れなかった
幼少期
幼い頃、
私は、自分のことよりも
周りの人を優先することが当たり前の家庭で
育ちました。
父も母も、
普段は穏やかでした。
でも、
怒られると怖くて、
2歳下の妹とけんかをすると、
「お兄ちゃんなのに、我慢できないの」
「男なら、我慢するもんだ」
そう言われることが、
よくありました。
悔しくても、
悲しくても、
その気持ちを
うまく出すことができませんでした。
気づけば、
自分の気持ちを飲み込む。
それが当たり前になっていきました。
そんな日々の中で、
「自分が我慢すればいい」
そうやって、
その場を収めようとするように
なっていきました。

誰かと言い分がぶつかりそうになると、
自分が折れる。
相手の顔色を見て、
求められていそうなことを考える。
気づけば、
自分の気持ちよりも、
周りを優先することが、
自然になっていました。
「ひとりになるのが
怖い」と
心に刻まれた出来事
小学校2年生のとき、
今でも強く心に残っている出来事があります。
当時、私は学級委員をしていました。
ある日、クラスが騒がしくなり、
うまくまとめることができず、
はじめて大きな声で
「うるさい!」
と、怒鳴ってしまいました。
その瞬間、
教室の空気が凍りつくのを覚えています。
誰かの指示なのか、わかりません。
でも翌日から、
クラスの全員に、
無視されるようになりました。
仲のよかった友達まで、
少しずつ離れていきました。
教室にいても、
どこにも自分の居場所がない。
そんな感覚でした。

特につらかったのは、
休み時間と給食の時間でした。
みんなは楽しそうに話しているのに、
自分だけが、その輪の中に入れない。
声をかけることもできず、
ただ、
そこにいるしかありませんでした。
みじめでした。
でも、
そんな自分を、
誰にも見せることができませんでした。
どうすれば嫌われないのか。
どうすれば、
ここにいてもいいと
思えるのか。
そのことばかりを、
考えるようになっていきました。
家でも、
学校のことは何も話さず、
平気なふりをしていました。
この頃から、
自分の気持ちよりも、
周りにどう思われるかを
優先するようになっていきました。
そして、
「本当の自分を出してはいけない」
そんな感覚が、
心の中に強く残るようになりました。
「必要とされる自分を
作り始めた時代」
小学校での出来事をきっかけに、
「自分を出すと嫌われる」
という感覚が、
心の中に残るようになりました。
同時に、
ひとりになることへの怖さも、
強く残っていたのだと思います。

それ以降、
人や集団が何を求めているのかを
常に考え、
自分の気持ちは出さずに、
周りに合わせるようになっていきました。
嫌なことがあっても、
我慢する。
「必要とされる自分」でいる。
そうすることで、
なんとか居場所を保とうとしていました。
当時は、
勉強やスポーツができることに
価値が置かれる空気がありました。
だから私は、
「できる自分」で
いようとしていました。
そうして、
居場所を作ろうとしていたのだと思います。
小学校高学年になると、
水泳に打ち込み、
ほぼ毎日、
休みなく練習を続けていました。
コーチはとても厳しく、
タイムが少しでも遅れると、
サウナ室に連れていかれ、
バットで殴られることもありました。
とにかく怖くて、
タイムがすべての世界でした。
タイムが上がることでしか、
自分に価値を感じられませんでした。

少しでも嫌われたと感じると、
ひどく落ち込み、
「自分はダメなんだ」
そう感じていました。
だから、
弱い自分を見ないように、
ずっと頑張り続けていたのだと思います。
「我慢すること」
「頑張り続けること」
それが正しいことなのだと、
どこかで信じていました。
そうしなければ、
居場所を失ってしまう気がしていました。
一方で、
人の目を気にせず、
自然体で生きている人を見ると、
強く惹かれていました。
羨ましかったのだと思います。
高校に入ると、
周りは、
大人びていて、
面白くて、
何もかも持っているように見えました。
無理に背伸びしてでも、
そこに合わせなければいけない。
そう思っていました。
でも、
それは本当の自分ではなく、
つくっている自分でした。
だから、
人と一緒にいても、
どこか空しさが残っていました。
誰とも深くつながれていない。
そんな感覚が、
ずっとありました。
頑張っても
埋まらなかった孤独と、
「自分の意味」を
見失っていった時間
大学に入ると、
その感覚はさらに強くなりました。
周りには、
自然に人と関われる人や、
コミュニケーションが上手な人が多く、
そういう人たちが
とても眩しく見えました。
気づけば、
クラスの中でひとりになっていました。
グループは自然とできていて、
学食では、
それぞれが楽しそうに過ごしている。
その中で、
いつも、ポツンとひとりでした。

周りから平気そうに振る舞っていました。
でも、本当は
とても苦しかったのです。
頑張っていれば大丈夫だと、
どこかで信じていたのに、
また、
居場所がなくなってしまいました。
ひとりになると、
将来のことや、
生きる意味について考える時間が、
少しずつ増えていきました。
哲学や宗教など、
いろんな本を読んだり、
インドに
生きる意味を
探しに行ったこともありました。
でも、
どこにも、
答えは見つかりませんでした。
「自分は何のために生きているのか」

その問いが、
頭から離れなくなっていきました。
どう生きていいのか、
分からなくなっていきました。
次第に、
学校にも最低限しか行かなくなり、
人と会うことも
避けるようになっていきました。
気づけば、
自分のことが
心底嫌いになっていました。
心は鬱々とし、
世界が少しずつ、
色を失っていくような感覚でした。
「生きていて意味があるのか」
そんなことを考える時間が増えていきました。
消えたい
そんな言葉が、
ふと頭に浮かぶこともありました。
答えが見つからないまま、
どう生きていいのかも分からないまま、
私は、
押し出されるように、
社会に出ることになりました。
自分を押し殺しながら、
「必要とされる自分」を
演じ続けた社会人生活
学生時代に感じていた
「生きる意味が分からない」
という想いは、
解決したわけではありませんでした。
ただ、時間の経過とともに、
どこかに
置き去りにされていきました。
その頃の私は、
震災で死にそうになった体験や
孤独や死について
深く考え続けていたことが重なり、
「人を助ける仕事がしたい」
そんな思いを、
どこかで抱えていました。
そして、
人命救助に関わる仕事を選びました。
しかし、
その職場には、
厳しい上下関係と、
「面白いこと」を求められる
独特の空気がありました。
特につらかったのは、
仕事が終わった後も、
その空気から
離れられなかったことでした。
頻繁に開かれる
深夜まで続く飲み会では、
常に周りに気を配りながら、
場を盛り上げることや、
空気に合わせることが、
求められていました。
自分をうまく出せなかった私は、
無理をしながら、
その場に居続けていました。
ずっと、
苦しさを感じていました。
でも、
つらさを感じても、
その気持ちを、
外に出すことはできませんでした。
自分を押し込めて、
「必要とされる形」に
合わせるしかありませんでした。
みんなの中で、
自分だけがうまくできない、
「なんで自分はダメなんだろう」
「どうしてできないんだろう」
そんな思いが、
頭の中を何度も巡っていました。
同じ場所にいるはずなのに、
また、
ポツンと、
ひとりでした。
どこにも、
居場所がありませんでした。

今なら、
「そこから離れればいい」
と思えます。
でも当時の私は、
逃げるという選択肢を、
持つことができませんでした。
誰かに相談することも
できませんでした。
自分を押さえ込むことで、
その場に居続けるしか
ありませんでした。
そして気づけば、
外側では
命を助ける仕事をしているのに、
自分の心は、
少しずつ
壊れていっていました。
「もう限界だ」
と感じながらも、
抜け出せなかった日々
慣れない事務職に異動してからは、
仕事環境は、
さらに厳しくなりました。
気づけば、
自分を押し殺し続ける生活は、
限界に近づいていました。
丁寧に仕事をしようとするほど、
時間がかかってしまいました。
終電で帰る毎日。
土日出勤も、
当たり前になっていました。

仕事の遅さを指摘されるたびに、
自分を責めながら、
眠れない夜が続きました。
原因不明の下痢が
何ヶ月も続きました。
家に帰ると、
真っ暗な部屋で、
死んだように横になっていました。

やがて、
自分のことが
心底嫌いになっていました。
負の感情が
頭の中を
ぐるぐると巡っていました。
それでも、
逃げることができませんでした。
逃げる。
その選択肢を
持つことができませんでした。
つらくても、
苦しくても、
自分を押さえ込んで、
耐えるしかありませんでした。
辞めることも、
逃げることも、
どこか、
「負け」のように感じていたのだと思います。
だから、
止まることができませんでした。
そして、
バイクで通勤しているとき、
「あの電柱に突っ込んでしまえば、
この苦しさから追われるのに」
そんなことを、
毎日のように考えていました。

今振り返ると、
周りが全く見えていない状態だったのだ
と思います。
この頃の私は、
「もう限界だと分かっていながら、
ただ、生きているだけでした。
「自分の人生を生きていない」
と気づいた瞬間
その後、
結婚し、
娘を授かりました。
でも、
仕事に追われる日々の中で、
家族と過ごす時間は、
ほとんどありませんでした。
妻に、
「もう限界」
そう言わせてしまったこともありました。
やがて娘は高校生になり、
進路に悩むようになりました。
「みんなが行く大学ではなく、
自分の好きなことをやってみたい」
そう話してくれました。
そのとき、
私は娘に、
こう伝えました。
「自分に正直に生きたらいい」
「好きなことがあったら、
そっちに進めばいい」

その言葉を口にした瞬間、
自分の中で何かが崩れました。
自分は、そんなふうに
生きて来なかったじゃないか。
嫌われないように、
必要とされるように、
本音を押し殺してきながら、
ずっと生きてきた。
「逃げるのは格好が悪い」
そう思い込み、
我慢することで、自分を支えてきた。
そんな生き方とは、
まったく違う言葉を、
自分は娘に伝えている。
その矛盾を、
はじめて、
真正面から突きつけられたのです。
気づけば、
自分を支えていると思っていたものが、
ずっと、
自分を縛っていたのでした。
涙が止まりませんでした。
そして、
はっきりと思いました。
「自分は、
自分の人生を生きていなかった」

その瞬間、
もうひとつ、
静かに湧いてきた感覚がありました。
「このままでは終わりたくない」
「自分の人生を生きてみたい」
はじめて、
自分の意志で、
生きたいと、
心から思えた瞬間でした。
孤独に触れ、
「人に寄り添いたい」
と思ったきっかけ
その頃、
身近で、
孤独死と自死を続けて経験しました。
突然いなくなってしまった現実を、
うまく受け止めることができませんでした。
ただ、
言葉にならない感情だけが
心の中に残りました。

「ひとりで苦しかっただろうに」
「どうして気づけなかったのか」
そんな思いが、
何度も頭に浮かびました。
そして、
学生時代に訪れた、
インドの
「死を待つ人の家」での光景が、
ふと蘇りました。
言葉にならない孤独を抱えた方が、
シスターに微笑みながら、
静かに旅立っていった、
あの場面。
同時に、
小学生の頃、
ひとりぼっちだった自分の記憶も、
何度もよみがえりました。
いるのに、
誰にも関心をもたれず、
誰にも声をかけられず、
ただ、
そこにいるしかなかった時間。
その感覚が、
今の出来事と
重なっていきました。
もし、
あのとき、
誰かがそばにいてくれたなら。
ただ、
話を聴いてくれる人がいたなら。
どれだけ、
心が安らいだだろうか。
そう、
強く思いました。
そのとき、
ひとつの思いが、
はっきりと浮かびました。
「ひとりで苦しんでいる人の
そばにいたい」

特別なことをするわけではない。
ただ、
安心して話せる時間があること。
誰かが、
そばにいると感じられること。
それだけも、
違ったのではないか。
そう思わずにはいられませんでした。
本当にやりたいことへ
あのとき感じた想いは、
そのまま、私の中に残り続けました。
そして、
これまでの経験を振り返る中で、
自分の中に
ひとつの原点があることに
気づきました。
それは、
「ひとりで苦しんでいる人が、
ひとりではないと思える時間を
届けていきたい」
という想いでした。
その後、
孤独を抱える方のお話を聴く活動に
関わるようになりました。
約5年間、
さまざまな悩みを抱える方々の話を聴く中で、
ただ、
安心して話せる時間があることが、
どれだけ、
人の孤独を和らげるのか。
そのことを実感してきました。
同時に、
私自身も、
カウンセラーの方に
話を聴いてもらう経験を通して、
その時間の大切さを
深く感じることがありました。
生まれて初めて、
誰にも話せなかった過去を
打ち明けたとき、
誰にも見せたことのなかった自分を、
少しずつ
さらけ出していくようでした。
そして、
そんな裸の自分を、
温かく受け入れてもらえたことで、
少しずつ、
氷が溶けていくようでした。
本当の自分に、
はじめて出逢えたように感じました。
その頃から、
外側ばかりに向いていた意識が、
少しずつ、
自分の内側に向いていきました。
「本当はどうしたいのか」
分からなくなっていた感覚に、
少しずつ触れていくような時間でした。
怖さもありました。
でも同時に、
「やっと、本当の自分に触れられた」
そんな感覚もありました。
それは、
新しく何かになるというより、
置き去りにしてきた自分を、
少しずつ取り戻していくような感覚でした。
そこにいたのは、
とても弱く、
何かに怯えている自分でした。
「自分を守ってきたんだね」
「よく生きてきたね」
そう思ったとき、
自然と涙があふれました。
嫌いだった自分を、
初めて受け入れることができました。
自分を抱きしめたような
感覚もありました。

そして、
「ただ話を聴いてもらえること」が、
これほどまでに
人を支えるものなのかと、
心から感じました。
それから、
心理学やカウンセリングについて
学びを深める中で、
人は、
これまで抱えてきたものを
一つひとつ理解していくことで、
少しずつ、
回復していくことがあるのだと、
感じるようになりました。
私自身も、
なぜ、
あれほど苦しかったのか。
なぜ、
本音を押し殺し続けてきたのか。
その理由を、
少しずつ理解していく中で、
自分を責める気持ちが和らぎ、
自分を受け入れられる時間が、
増えていきました。
長い間、
ひとりで抱えてきた時間があったからこそ、
うまく言葉にできない苦しさや、
隠れてしまった本音に
自然と心が向くのかもしれません。
そして、
この時間を、
もっと多くの人に届けていきたい。
自分の一生をかけて
向き合っていきたい。
そう思い、
カウンセラーへの道を
歩き始めました。
これからは、
人に合わせすぎて、
自分が分からなくなってしまった方、
本音や感情を出すことが怖く、
「必要とされる自分」で
生きてきた方、
強い孤独感や自己否定を抱えながらも、
それでも
何とか前に進もうとしてきた方。
そんな方が、
安心して、
自分の気持ちを話せる時間を
届けていきたい。
そう、思っています。
私自身も、
まだ途中です。
それでも、
迷いながらでも、
自分の意志で選んだ方向に進んでいくこと。
自分の中にある「北極星」を頼りに、
少しずつ歩いていくこと。
その歩みを、
これからは、
あなたと一緒に
見つけていけたらと思っています。
あなたの人生が、少しずつ動き出すために
もし今、
頑張れているはずなのに、
どこか満たされなさを感じている
自分の気持ちよりも、
周りにどう思われるかを優先してしまう。
強い孤独感や自己否定を抱えながら、
それでも何とか前に進もうとしてきた。
そんな中で、
どうにかしたいと
もがいている方がいるのなら、
私は、
あなたが安心して、
あなたらしく、生きられるようになることを、
心から願っています。
私のカウンセリングでは、
無理に答えを出したり、
前向きになろうとすることよりも、
言葉にならない思いや、
隠れてしまった本音に、
少しずつ触れていくことを
大切にしています。
頑張ってきたからこそ
見えなくなっていた
「本当はどうしたいのか」
という感覚を、
一緒に見つけていくこと。
そして、
誰かの期待ではなく、
自分の意志で歩いていける感覚を、
少しずつ、
取り戻していくこと。
そのプロセスに、
丁寧に寄り添っていきたいと
思っています。
ここから、少しずつで大丈夫です。
あなたが、
「もう、
必要とされるために
無理をしなくていい」
そう感じながら、
少しずつ、
自分のために生きていけるような時間を、
ここで、
一緒に作っていけたらと思っています。
あなたの中にも、
まだ言葉になっていない
「隠れた本音」が
きっとあるはずです。
その本音に触れていくことが、
あなたの中にある
「北極星」–
本当に進みたい方向を、
少しずつ照らしていくのだと思います。

もし、
ほんの少しでも
心に引っかかるものがあったとしたら、
そのお気持ちのまま、
一度お話ししてみませんか。
うまく話せなくても大丈夫です。
言葉にならなくても大丈夫です。
ただ、
今のあなたのままで、
安心して
お話しいただければと思っています。